イタリア出張記【7日目】
イタリア出張記【7日目】

イタリア出張記【7日目】

 月が変わって6月1日。帰国が見えてきたこともあり、そろそろ旅の終わりを感じる。この日はフィレンツェに移動し、帰国のフライトに備える。その前に軽くフィレンツェを巡りイタリアの歴史を改めて学んでみる。

 フィレンツェはメディチ家が長い間支配した都市。支配と言うべきかは議論があるところだが、何はともあれメディチ家と深い関わりがあるのがフィレンツェである。フィレンツェと前日まで訪れていたシエナは度々衝突し最後はシエナがフィレンツェに支配されることとなった。

 過去にはライバル関係にあったフィレンツェとシエナではあるが今では自転車の定番のライドルートとして人気がある。フィレンツェの街、古い石畳とシエナの丘陵地帯を走るルートは70〜80キロメートル。確かにこの都市間で多くのサイクリストを見た。のんびりと家族で走っているグループ、ガチで走るホビーライダーなどなど、自分のスタイルに合わせたライドを楽しんでいた。フィレンツェ=ルネサンスの大都市を出てキャンティの丘を越え、中世の要塞都市シエナに入っていく流れは、「一日でトスカーナ史を走ってなぞる」ようなルートとして最適なのかも知れない。この二つの地域をつなぐ道はプロはストラーデビアンケ、ヴィンテージ自転車乗りはエロイカとまさに自転車好きにとっては憧れの地であるとも言える。

 話はフィレンツェに戻る。街中を歩くとフィレンツェの名物とも言える革製品のお店が目につく。しかし、よく見てみるとイタリア人が経営しているようではなさそう。聞くところによるとパキスタン人の経営者が非常に多いと言う。確かに自転車のグローブでもパキスタン製と言うものはよく見るようになった。革製品の生地としても今ではパキスタンが重要な位置を占めるようになったようだ。それでも衣料品や靴の老舗が何軒があってその店の佇まいはまさに老舗に相応しいものであった。

 昼食は街中にある大衆食堂へ。Ostaria Pizzeria dei Centopoveri (100人の貧しい人たちのオステリア兼ピザ屋)と言うお店。人気店らしく、順番待ちしている人たちが大勢いた。予約していたので比較的早めに店内に入ることが出来たのはマルコのおかげ。労働者階級の人たちの食堂だったと言うこともあり、早く食べられて量が多い料理がメイン。イタリアの深川飯とも言えるリボッリータ(Ribollita)を頂く。リボッリータはトスカーナの代表的な「貧者の料理」で、野菜と豆のミネストラに硬くなったパンをたっぷり入れて煮込み、翌日にもう一度煮返すのが特徴。もう一品は豚すね肉のロースト(Stinco di maiale al forno)。これはオリーブオイルと塩で味付けし、付け合わせにローストポテトを添えると言うトスカーナ地方の食堂では一般的な提供の方法とのこと。

 街中にある有名な香水店であるサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局(Officina Profumo-Farmaceutica di Santa Maria Novella)に移動。元々は修道院で薬草や香料の調合を始めたのが起源とされている。日本で言うと、呉服商から銀行と言った感じか。こちらでは私たちに向かって「ここにも日本人がいるのかよ。」と言った若い日本人カップルがいたのだがその2人がマルコの説明を盗み聞きしているのをみて失笑。マルコも本気か冗談かわからないが「ガイド代が欲しいよね。」と。

 建物は漆喰で防火処理をしていたり、中国から輸入した高価なラピズラズリを粉末にして彩色した天井など、見どころが満載。木造の構造物や什器は柿渋で防虫処理(防虫が間に合わず虫食いの穴がある什器もあった)を施すのは何となく日本と相通ずるものがあって面白い。床の石は良く見ると化石があったりしてこちらも面白かった。

 お店で買い物をしてレジに並んでいた際、目の前に並んでいた女性が着ていた犬のデザインのシャツがめちゃくちゃ可愛かったので日本語でこの方が着ているシャツ、可愛いよねと言った刹那、その女性が振り向いて「ですよね〜。」と日本語で返答。何と日本人の方でした。しばし歓談してお別れ。

 街中を歩いていたら、マルタ騎士団の徽章が掲げられたホテルを発見。その隣りの建物はエルサレム聖墳墓騎士団(ORDINE EQVESTRE DEL SANTO SEPOLCRO DI GERVSALEMME=ローマ教皇庁直属の騎士団。)の連絡事務所。マルタ十字とエルサレム十字が並ぶのも興味深いところであるがこちらは深掘りせず通過。

 次に訪れたのはフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅(Stazione di Santa Maria Novella)。ムッソリーニ時代に建設されたモダニズム建築の代表のようなシンプルな外見は非常に特徴的である。以前はスリが多発する場所であったが、駅ホールとホームとの間にゲートを設けたことによってスリは激減したと言う。ホームにはアルストム製の車両と日立製の車両が停車していた。日立はイギリスを皮切りに欧州の鉄道車両納入に参入したのだが、実物に会うことができるとは感激。欧州の鉄道は自転車を折り畳んだり輪行袋に収納することなくそのまま持ち込むことが出来る。近年日本でも欧州同様自転車を車内にそのまま持ち込むことが出来る路線は増えたものの鉄道の乗車人員の差もあって都市部ではなかなか普及しないのが現実である。

 駅の中を少し探索。マクドナルドがあったが、円安を考慮したとしてもとにかく高いが店内はほぼ満席。マクドナルドも含めて売店などはいかにもターミナル駅と言った風情。

 駅からホテルに戻ろうとしたら通り雨。イタリアではスコールはよくあることらしいが、東南アジアほどの大雨にはならない。それでも道に水溜りが出来るほど。舗装の質が今ひとつだからと言う気もするがそれでもそれなりの量が降っているのだろうと思う。そんな時は店の軒先で雨宿りが定番。今回も店の軒先で雨宿り…のはずが店内へ。イタリアの人たちが自転車に乗っている時に着用している服っぽいものを買う。

 一旦宿に戻ってからタクシーでミケランジェロ広場に向かう。フィレンツェの街を一望出来るこの場所は定番の観光地らしく土産物屋が多く立ち並んでいたが何故か良い展望が望むことが出来る場所の近くにずらっと並んでいた。ヴェッキオ橋、ドゥオーモなどフィレンツェの歴史を語る上で重要な施設を見るとイタリアと言うかフィレンツェの文化がどのように築かれて来たかを知ることが出来そうな気になる。ちなみにここの丘の上までヒルクライムをしているサイクリストを何人か見かけた。イタリアは幹線道路でもそう広くない上下1車線ずつの構造。そこを時速70キロメートル以上で飛ばす車が走行しているのだが、そこをヒルクライムする勇気が凄い。

 その後丘からタクシーで街に戻ってヴェッキオ橋近くで下車して周囲を散策。観光客の間を地元の人たちの自転車が縫うように走っていく。歩くより早い移動手段としては自転車が最適だ。

 今思うと今まで行った場所は車の台数はそれなりに多いもののバイクは相対的に台数が極端に少なかった気がする。フィレンツェも同じ感じだ。車と言えば欧州では化石燃料で走行する自動車の生産を中止し全面的に電気自動車に移行することとなったが(現在ではこの方針を撤回する会社がほとんどである)そのためか電気自動車が多く走っていた。そんな中目立つのはコンパクトな電気自動車。FIAT TopolinoやCitroën Amiなどのマイクロモビリティをよく見かける。欧州では免許不要で国によっては16歳から運転出来るそうだ。なお、日本では法制度上の理由から公道では運転出来ないのは残念である。

 ここであること気づく。電動自転車を見かけない。ピナレロ本社のショールームを訪問した際にはe-bikeが展示してあったはずだが、価格の問題なのか街中で見かけることはなかった。シエナのような起伏がある街でも同様である。自動車は電動化が進んでいるのに自転車はなかなか進んでいない。自転車はそもそも人力で動くのでC02排出量はゼロ。わざわざ電動化する必要もないだろうとの思想なのかも知れない。そんなことを思いながら入った夕食の場所は地元の人たちがよく利用すると思われるレストラン。お店の中では知合いと思われる人たちがあちこちで挨拶をしていた。店のオーナーのマンマもお客様に丁寧に挨拶をしている。イタリアでの最後の晩餐は豪快にグリルされた牛肉。塩とオリーブオイルで味付けされたシンプルな肉は最低2キログラムから提供される。これを5人で食す。意外とあっさりイケた。

 レストランを出てホテルまで歩く。夜に見る世界遺産ドゥオーモは昼間の喧騒が嘘のような静けさ。夜遅くまで営業しているのはほとんどがパキスタン人が経営する革製品屋さん。

 歩いている途中で若者の集団に出会う。周囲には大人がたくさん集まっていて一緒になって何かの歌を歌っている。何の曲かと聞いてみたらパルチザンの歌(Bella Ciao)だとか。若者は政治的意味合いを込めて歌っているのではなく最近はドラマやネット動画でも使われており、イタリアの若者の間では「みんなで合唱する曲」としてかなりポピュラーな曲とされてるようだ。

 明日でイタリアとお別れである。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です